■【センター長の独り言】シカゴ・カブス上原浩治さん(41)
★◎受験シーズンはいよいよ本番です。不安や焦りとどう向き合ってきたのか、苦しい経験を乗り越えたことは今どのように役立つているのか。
★体育教師になりたかったので、大阪体育大学を受験しました。
★結果は推薦入試、一般入試ともに連敗でした。予備校で中学生レベルの勉強からやり直しました。
★勉強は相当嫌いだった。全部が嫌いな科目。「なんでこんなことしないとあかんねん」って思っちゃう。
特につらかったのは、大学に進学した同級生がスポーツで活躍するニュースを見た時。「自分は何やってるんやろ」と不安になりました。
★大学に早く受かっりたいと思っても一段飛ばしできない。
コツコツ勉強して大阪体育大学に合格しました。
※40歳を過ぎて野球が続けられるのも、浪人した1年があったから、忍耐力がついたんだと思います。
★巨人時代から背番号はずっと19番、これは「浪人した19歳を忘れないように」という意味です。
★結果が出ない時にふと19番を見ると、「野球ができなかったあの時と比べれば、打たれようが野球ができている」
自分の原点に戻れるんです。
★受験生にとって、今は不安な時期。
僕も今季のプレーについては、不安が大きい。
でも不安だから練習する。受験も同じです。
最終的になるようにしかならないと思って、努力するしかならない。
※一生懸命努力したやつのことを神様はきっと見ています。
★私も福島国体の状況が悪い時。「やることはやった。」
「俺はやるときにはやるんだ」と開き直りました。
うまく行くもんですね。
■【センター長の独り言】どんな時もご機嫌で「お帰り」
★◎パラリンピック日本代表の欠端瑛子さん(23歳)は先天性白皮症で高校で盲学校に通い、ゴールボールを始めた。
★父は、元プロ野球選手の欠端光則投手として活動していたらしいです。
私が生まれた翌年に引退したので、選手の父を見た記憶はありません。
小さいころは、なんでパパはいつも家にいるんだろと思っていました。
★私は生まれつきメラニン色素がなくて、視力0・03視界がぼやけます。
でも、父は2人の兄と私と一緒に、公園でキャッチボールをしてくれたり、遊園地に連れて行ってくれたり、たくさん遊んでくれました。
★私は競技を始めて2年で日本代表になり、ロンドンパラリンピックで金メダルを獲得しました。
ただ、試合にはほとんど出られませんでした。
★周囲に「おめでとう」と言われても、悔しさがあった。
父は、それに気づいていたと思うけど、ただニコニコと笑顔で成田空港に迎えに来てくれました。
★高校で盲学校を選んだ時も、美術大学に行きたいといった時も「やりたいならやればいい。できなかったら、また違うことを探せばいい」と言ってくれました。
★視力の問題で、美術大学で電動ノコギリは使えなかったけど、やりたいことに挑戦できたのは大満足です。
★リオ・パラでは主力メンバーになれました。でも、準々決勝で負けました。
帰国後の父の言葉は、「お帰り、頑張ったね」
ロンドン大会の後と同じ笑顔でした。
パパのいいところは、いつもニコニコ、ご機嫌なところです。
★◎期日 1月29日 9:00
◎会場 あさか 開成
◎参加者 男女12名
◎指導者 小手森先生、岩田先生、清和副センター長
◆《練習内容》感想
1・小手森先生流ファンダメンタル※マクドナルドリル※ニュートンドリル※団子2兄弟ドリル※リーダーパス※対面パスドリル※マシンガンパス
★生徒は楽しみながら、上達していきます。
2・オールコートリバウンドからドリブルシュート
3・ツーメン・ループパスシュート
4・5人クリスクロスから3対2アウトナンバー攻略法
5・ゲーム3対3はファンダメンタルの成果が連発した。
※小手森先生にほめられていた。
★トレセン生、体調管理に気をつけ、一期選抜頑張れ
「やるときにはやるんだ」
深呼吸法です。